言波(ことのは)語りブログ

言波導(しるべ)が物書きと感想文で自由に語ります

言波 導(ことのはしるべ)の自己紹介

こんにちわ!言波導(ことのはしるべ)です!

自己紹介をしようと思います

これはTwitterの固定ツイートに貼り付ける物です

今までブログでは導君の人生を語って来たことが、しばしあった

重複する内容があるけどご理解ご了承願います

場合によっては内容が編集されることが可能性としてあります。御理解下さい

最後まで読んでもらえると幸いです。

念の為最後にも書きましたが最初にも書きます。

KotonohaShirubeをフォローしたら2週間お試し期間をして下さい

そしてフォローを外す際は必ず一言フォローを外す理由を述べて下さい

お互い気持ち良く別れる為です。必ず守って下さい。

それでは自己紹介に参りましょう!

 

・1995年東京生まれ東京育ち東京都内在住

 ・日常生活の基本、リズム、出来ること出来ないこと、目標

 

・日常生活の基本

Twitterと共に生活している。

・睡眠時間は日によってバラつきがある。

・朝と深夜は必ず起きてられるとは限らない。

・22時前後に寝る前の薬を飲む

・精神的に不安定になって行く場合がる。(Twitterのフォロワーが減り続けると特に)その為精神衛生管理は大切にしている

・日常生活のリズム

・日付けが変わった頃に起きていたらTwitterのKotonohaShirubeで「ここから〇月〇日のツイート」とその日始めのツイートをする。0時頃起きられなかったら朝や昼など起きた時にその日始めのツイートとして呟く。

・1日の食事量は少ない。体重を落とし、痩せたいと思っている。だいたい46kg前後だが納得は行っていない。

・基本ゲームをメインに生活をしている。小説、詩などの創作もTwitterや投稿ウェブサイト上で行っている。

・なにかをする時やした後はたいがいTwitterのKotonohaShirubeで呟く(どこどこに行って来ます等)

・22時前後に寝る前の薬を飲む。

・23時、0時頃眠くなり眠り始める。ゲームや創作をして過集中になって寝なかったり、薬が効かず不眠に悩まされたりする。

・日常生活の出来ること出来ないこと

・遠すぎない場所なら1人で電車移動出来る。遠すぎると移動出来ない

・家事は買い物を頼まれて買いに行くことは出来る。メモが無いと出来ない。

・家事は洗濯は出来ない

・家事は掃除は出来る

・人との会話が上手く出来ない。声が小さいのもあるけど口の呂律がちゃんと回らず相手に伝わらずチャッチボールが途絶える。

・記憶力が心理テスト上でも結果として弱いと出ている為、記憶のキャパシティーは限られている。

・朝は必ずしも早起きは出来ない。

・日常生活の目標

・精神を安定させることを心掛ける

・ゲームや創作等の趣味の時間を1日24時間の間にどうスケジュールと合わせてルーティンとして組み込むか試行錯誤する

てんかん発作が起きないように過度な疲れやストレスを溜め込まない

 

波導(ことのはしるべ)の主なTwitterアカウント(他にもあるけど割愛)

・【Twitterアカウントのスタンス基本、雑多。でもゲームがメイン】

Twitterで@KotonohaShirubeと検索すれば雑多のTwitterアカウントが出ます

 

・【Twitterアカウントのスタンス不定期な曜日に13時以降に一作から詩をツイート】

Twitterで@ShirubeKotonohaと検索すれば詩のTwitterアカウントが出ます

 

・【Twitterアカウントのスタンス140字小説とカクヨム等の小説を投稿】

Twitterで@ShiruShirubeと検索すれば創作垢の言波導が出ます

 

・ PSIDはBRAVEchoco

 

Twitter、KotonohaShirubeの

~主にツイートする内容~

レインボーシックスシージ

レインボーシックスシージ以外のゲーム

・日常

医療機関利用(参考にはならないことを留意して下さい)

50ツイート毎の振り返りツイート(たまに誤差が生じます)

・健康状態(精神状態も含まれます)

 

~たまにツイートする内容~

・マンガ

・お菓子関係(新作とは限らないことを留意して下さい)

・映画

・小説更新ツイートと小説進捗状況

はてなブログ更新ツイート

 

好きなもの

・好きな食べ物は、お菓子、チョコ、オムライス

チョコはお菓子だけど特別に好きなんだ

・好きなミュージシャンは、DOES、あいみょん、他

・好きなマンガは、銀魂、累(かさね)、惡の華、他

・あと好きな物はゲーム

 

将来の夢

作家になること

詩集なり小説を世に出したいと考え試行錯誤しながら実行中

 

趣味

ゲーム、映画館で映画鑑賞、マンガを読むこと

ゲーム以外は時々なことが多いけど導君の外せないチャームポイント

よくゲームをする機種はPS4ニンテンドースイッチでゲームプレイ

2012年~2015年ぐらいまではPSvita3DSが主でした

 

PSvitaプレイタイトル

鬼討伝シリーズ、マインクラフト、ソウルサクリファイスシリーズ

ゴットイーターシリーズ、他

 

PS4プレイタイトル

レインボーシックスシージ、マインクラフト、フォーオナー

THELASTOFUS(ザ・ラストオブアス)、キングダムハーツ3、DEATHSTRANDING(デスストランディング)、他

メインでプレイしているのはレインボーシックスシージ

 

ニンテンドースイッチプレイタイトル

スマブラSPスプラトゥーン2、マリオカート8DX、大神絶景版

 レインボーシックスシージは導君は上手い訳じゃなけど

初期から長年楽しんでいます!

導君のレインボーシックスシージでの課題

・リコイルコントロール

・ゴールド帯に常時いること。現在シルバー帯から始まりブロンズ帯に落ちて行くのが多いです。なので正直弱いです。強い人にたくさん教わりたいのと、もしくは出来ればクラン様に入って育成して頂きたいです。プラチナ以上のランクは未経験なので、そこまで上がれるなら上がりたいです。

 

~言波導の人生~

保育園と幼稚園のどちらかと言うと保育園だった

戦いごっこもして元気な男の子だった

 

小学生の頃、児童館保育も導君はあった

児童館保育が終わり小4になってから

児童館以外に公園でもよく友達と遊ぶようになった

女子の友達もいた

だからバレンタインデーは友チョコをもらっていた

小学生の頃、導君自身は経緯は覚えてないけど右耳の聴力が弱いことが発覚

小2の頃に耳にあるはずの音を伝達する3つの骨の内あぶみ骨という骨が無かった

その為チタンであぶみ骨の代用手術をしたが

聴力はそれなりに良くならず今でも代償機能「機能していない体の組織の代わりに他の体の組織がその機能を執り行うこと」で発達した左耳で多くの音を聞いている

その為どこから音が発生しているか判断出来ない

シューティングゲームは意外と音を聞くのが重要なので、かなりのハンデ

小学生時代はかなり、かんしゃくがあった

発達障害の気があるということで調べ診断結果は導君の元には届かなかった

それでも何か導君が問題を起こす度に母親は

「支援クラスに行くか?」と威圧的に言って来た

導君は小学生までは通常級のクラスにいた

それで小学校卒業も近い頃に母親のまた威圧的質問に導君は痺れを切らし

「行ってやる」と答えた。あとで分かったことだがすでに区の方から

支援クラスを母親はススメられていたらしい

 

そうして通常級のある中学の支援クラスに入った

当時導君は人を信用出来ず憎んでいた

中1の入学時は友達なんて作れないし作らないとまで思っていた

実際通常級と支援級は関わることが暗黙のルールでしてはならなった

通常級には小学校の頃の友達もいたが会いに行けないのが心苦しかった

3年生の先輩とある日放課後レゴで遊びながら会話をした

その先輩はひき逃げの事故に遭い体半身が麻痺していた

そんな先輩に導君は「ひき逃げ犯を恨んでないの?」と聞いた

そうしたら先輩は「恨んでないよ。恨んでも仕方ないじゃん」と答えた

そこで導君は人を憎んでばかりだったが人を許すことを学んだ

それからは中学の支援クラスにも打ち解けて行った

中2、中3と進むに連れ、支援クラスでも仲のいい先輩後輩が出来た

しかし正直卒業時にはみんなとお別れだと、決心していた

だが2つ下の後輩に「もっと遊びたい」と言われた

そして導君が卒業しても遊ぶことにした

そのおかげで今でもTwitterで繋がりがある

可愛がっていた後輩だ。それに実際可愛かった。男の子だけど

中学の支援クラスを卒業する間近にチャレンジスクールという

不登校を経験した生徒が集う高校に受験した

経緯は通常級の高校に行きたいという導君の意思を

当時の担任がくみ取ってくれた。そして学力的に健常者と差がある為に

チャレンジスクールという進路になった。

しかし不合格。母親と約束していたのもあり高等部の特別支援学校に入学することに

 

特別支援学校に入る前に副校長先生と面談する日があった

2011年3月11日だ

その日導君は泣きながら副校長にあることを訴えたのを覚えている

それは「小学校の同級生に胸を張れるようになりたい」と。

「支援学校はもうイヤだ」と。

その裏には通常級の生徒ともう一度学びたい思いがあった

そして進級するに連れ特別支援学校での生活は慣れては行ったが

必ず退学してやるという野心は持ち続けていた

そんなある日1人の生徒が愛の手帳「障害者手帳」を取得しに行くと言った

そうすると当時高2の担任が「心理テストはわざと間違えてもいいよ」と言った

導君はそんなことが許されるなら誰しも障害者手帳を取得出来ると思った。

それにそのような発言をするのは導君のいたクラスの担任だけではなかった

こんな学校を卒業したら赤っ恥だ。小学生の頃の同級生に胸なんか張れない

そう思い、本格的に退学の意志を固めた。

3年になってすぐに沖縄の修学旅行に行った。その時

進路も決めていなかった導君に泊まる部屋が同じになった担任が

沖縄の宿で「進路どうする?」と聞いて来た

みんな障害者雇用で順調に内定をもらっていた生徒が多かったからだ

導君はどうにか退学したい

だからこう言ったのだ

「大学に行きたい」

それからは授業に出なくて良くなった。個別で勉強しなさいと

しかしすぐに大学に特別支援学校からは進学出来ないシステムになっていた

通常級の高校で高卒認定を受けなればならなかった為

特別支援学校を卒業すると他の高校にいけないから

高3の12月まで在学させてもらい退学することが出来た

 

そして二度目のチャレンジスクールへ受験。結果は不合格

通信制の高校も受験。結果は不合格。一浪した

 

2015年二十歳になる年に私立高校に受験

その学校も不登校を経験した生徒を対象としていた

誰でもウェルカムな学校だったので合格

年齢も発達障害の有無様々な生徒がいた

友達は欲しかったが失われたコミュニケーション能力が

妨げとなり友達を作れず2018年3月11日卒業した

二度目の高校も修学旅行は沖縄で美ら海水族館も二度行った。

二度目の高校は昔から遅刻欠席の多かった導君にとって課題提出というのは

大変だった。授業に全て出ていれば課題は埋まるかたちとなっており

授業に出れなかった導君は課題提出期限ギリギリでいつも出していた

そうして導君は二度目の高校で見つけた進路に進むと決めた

大学ではなく服飾の専門学校だ

しかし通院日が当時金曜日だった為、専門学校の課題提出日と重なる

という理由から落とされてしまった

もし服飾の専門学校に入れたなら将来の夢も変わっていただろう

 

今は医療機関を頼り社会復帰と言うか社会で自立出来るように

少しずつ精神的にも安定出来る環境作りをしています

2018年に入院した時に担当医から

導君は初めて直接発達障害と言い渡された。そして発達遅滞「はったつちたい」と言う

ものらしい。自閉症スペクトラム障害のひとつらしい

発達障害は脳機能の障害なので治るという概念がない

それに

導君は心理テストの結果で出ているので把握しておいてもらいたいのは

音で聞いた言葉を記憶するのが苦手と出ている。

その為文字にして読んで記憶する手間が必要らしい

他の結果は健常者より、やや数値が低いぐらいで生活で大きく支障をきたすことはない

ようだ。

とりあえずはアルバイトが出来るようになれば少しは小学生の頃の同級生に胸が張れるかな。今はまだ医療機関に通うことが優先だけど。

現在通っている医療機関

・保健所の保健師さんとの面談

デイケア

・病院のメンタルヘルス

(現在通っている医療機関に行きます行って来ました等の呟きをするので、今日はこれから行くんだな行って来たんだなって温かく見守って思いとどめて頂けると幸いです)

 

発達障害の他に主な病気としてあるのは、左肩の脱臼癖、てんかん発作、右耳難聴

脱臼はしないように自分で気をつけているけどリアルでの出会いがもしあった場合

肩が後ろに行かないように気をつけたり、

重い荷物を持たせる等のことを避けたりして欲しい。

 

てんかん発作は薬で抑えているけど

疲労が溜まっても発作が起きて重症の場合けいれんや排尿や泡を吹くことがある。

万が一の為にもフォロワーさんに気をつけて欲しいことは

他に激しい光の点滅を視界に受けた場合も発作は起きる。

つまりレインボーシックスシージでラウンドに勝ったからと言い

フラッシュバンをむやみに投げたり

ブリッツやインのフラッシュを浴びせる等は控えて欲しい

発作前兆が導君はあるのでゲームプレイ中のボイスチャットで時に突然

発作が起きると言うけど言えずに発作が起きてしまうことも留意して頂きたい。

 

 

~あれこれのいきさつ~

Twitterを始めたきっかけは2016年に中学の後輩で友達でもある後輩から

導君が二度目の高校の頃、ケータイを持っていなくて、それでも

毎週会っていた。でもその後輩も高校で忙しく

毎週会う約束が出来ないってなった

それで連絡手段としてPS4に登録しているメルアドで

Twitterアカウントを作成した。そしてPS4から当時は

Twitterを開き連絡をやり取りしていた

そして今も彼とはスマホ版のTwitterを返して連絡を取っている。

 

詩を始めたきっかけは最初は詩などのタグもつけなかったし、

詩をツイートする気も無かった

導君のKotonohaRiaというアカウントはサブ垢みたいに使う予定だったし

しばらく使用もしていなかった。2017年の秋に始動した。

思ったことやメッセジーをツイートを

していく予定だった。しかしあまり反響がなかった。

メッセージを表現するにはなにがいいだろうと考えて

結果、詩というものに辿り着いた

 

小説はなぜ書くか

小中の頃はマンガを描いていた。絵のクオリティーは別として

その後も中学の支援クラスの後輩が絵を描くのが得意だった

だから一緒にマンガ作成したが1ページも完成せず遊んで終わった

しかし物語りのアイディアは導君が提案していた

つまりマンガを読むのも好きだし

絵が機能しないなら導君だけで物語りを書こう

それなら小説だよなってノリ

 

ゲームを初めて触れたのはゲームボーイカラーでお姉ちゃんと共有して

やったポケモンの金。それからDSやPSPWiiPSvitaのゲームをやった

そして弟とお金を出し合ってPS4を買った。

ニンテンドースイッチは個別で購入した

弟は父親が買ったPS4を今は使っている

 

一つ一つゲームソフトを購入した、いきさつを書くと書くのも読む側も疲れる

だろうから割愛します。だいたいは面白そう楽しそうです。

 

銀魂が好きになったきっかけ

小学生の頃に女友達がクラスメイトと話しているのを

横から聞いていてアニメで銀魂がやっていて面白い

という言葉を聞いて当時銀魂は月曜の18時からだったので

見ることにした。その時柳生家と戦う柳生編がやっていた。

ギャグもあって友達の言う通り面白いなって思って

中学生からはマンガも買って読むようになったぐらいだ

 

バンドDOESを好きになったきっかけ

アニメ銀魂の主題歌を担当したりしていたのが大きいだろう

Youtubeを見るようになったのは特別支援学校の頃ぐらいからだ

それからYoutubeでDOESの曲をよく聴くようになった

そして「修羅」「曇天」「博打ダンサー」以外にも聴く曲が増えた

 

あいみょんのファンになったきっかけ

銀魂の影響もありバンドのDOESの曲をYoutubeで聴いていて

オススメの表示にたまたま、あいみょんの「生きていたんだよな」が

出てきた。それを聴いて感動したのが、あいみょんのファンになったきっかけだ

あいみょんがメジャーデビューする2016年のことだった

そして2016年10月31日

東京池袋のタワーレコードでCDを購入して

あいみょんのメジャーデビュー初日の初のミニライブを聴いた

そのあとCDへのサイン会もあったことは忘れない。いい思い出だ 

 

このぐらいで自己紹介を終わります

最後にKotonohaShirubeをフォローしたら2週間お試し期間をして下さい

そしてフォローを外す際は必ず一言フォローを外す理由を述べて下さい

お互い気持ちよく別れる為です。必ず守って下さい

3・11あれから9年東日本大震災

こんにちわ!言波導(ことのはしるべ)です!

2020年3月11日(水)東日本大震災から9年が経った。小学1年生だった子供が義務教育を終えようとしている。しかし新型コロナウイルスで卒業式が中止なる学校も出ている2020年。その学年は災難としか言い難い。導君のブログを始めた時期は2019年3月でTwitterのフォロワーさんがはてなブログをやっているのを読んで、楽しそうと感じたのが始めたきっかけ。今もそんなにはてなブログの読者自体は少ないけど始めた当初も当然少なかった。それでも3・11の事を書かなくてはと思い、2019年も東日本大震災の時に導君はどうしていたかを書いた。内容は2019年のものとほぼ重複するが、導君にとってもあの日は忘れがたい日であることには違いない。

 

当時導君は中3の三学期で卒業間近だった。導君は小学生時代は通常級のクラスにいて卒業もしたが中学は特別支援学級にいた。当然通常級に小学時代の友人もいた。しかし彼らとは学力体力の面で大きく差が出来ていた。それでも健常者と学びたい思いを担任がくみ取ってくれたのか、チャレンジスクールと言う、不登校を経験した生徒が通える学校を担任が紹介してくれた。そこに受験してみたものの不合格。当時親と約束もあり、特別支援学校に受けることになった。そして震災の日に特別支援学校に親と特別支援学校の副校長と面談をした。それでその特別支援学校の高等部には入れた。その面談の時に言った事を今でも忘れはしない。健常者ともう一度学びたいと言う思いから放った言葉だ。「小学校の頃の同級生に胸を張れるようになりたい」と。導君は涙して訴えた。副校長は「今頑張ればいつか胸を張れるようになる」と返した。それでもここに入学して卒業したら、二度と健常者と共に学ぶことが出来ないと思ったが、その時は溢れる涙と感情で特別支援学校に入ることにしてしまった。愛の手帳も持てないのに、それでも発達障害で導君は本当に中途半端な人間になったなと、当時は思った。そして震災の当日家に帰ってから、テレビを見ていた。昼間だったしニュースか再放送のドラマぐらいで、その時はニュースがついていた。東京都の都知事戦に石原さんが出馬すると言う速報が流れたのを覚えている。東京都民として注目の速報だった。親と「石原さんもやっぱ出るだね」って話している最中に地震が起きた。東京でもそれなりに揺れてニュースの速報は一気に地震のことになった。地面が大きく揺れる映像や津波の映像が続々とテレビ越しに目の中に入った。

導君は東日本大震災からではない、それよりも前から人生の時は止まっているような感覚が有る。いつになったら自立出来るのだろうと焦燥感がある中、それでも最近はちょっとずつ前へ進めている気がする。まだ小学校の頃の同級生に胸が張れるか分からないけど東日本大震災で亡くなった人は3・11で時が止まってしまっている。まだ生きている導君は亡くなった人の分まで生き抜かねばならない。まだ医療施設に通所して心身のケアをしているが着実に前に進んでいるし、歩みを止めてはならないんだ。

 

最後に東日本大震災で被災されて亡くなられた方の御冥福をお祈り致します

デジモンアドベンチャーラスエボ絆感想※ネタバレ有り

こんにちわ!言波 導(ことのはしるべ)です!

2020年2月21日金曜から公開されているデジモンアドベンチャーラストエボリューション絆を2月22日に姉と見て、3月1日に1人で、もう一度見に行きました!最初見た時のラストの方は涙したね。2回目は冷静に作品を見た感じかな♪

 

アグモンと太一達みたいにデジモンをパートナーとして選ばれし子供達になっている人はそこそこいるんだよね。実は。

だけど選ばれし子供達の意識をデータ化して意識を奪うデジモン「メオスモン」がいると「メノア」と言うデジモンを研究している女性から退治の依頼を受ける太一達。追い詰めることに成功するも、突然アグモンとガブモンとが合体して進化したデジモン、オメガモンに異変が起きて幼年期まで退化してしまいメオスモンを逃してしまう。太一はなんでなんだと疑問をメノアに投げ掛けたら、メノアはパートナー解消が近いからと言う。無限の可能性が無くなればパートナー解消が起きるとかって確かメノアはんは言っておりやりした。その言葉とタイミングが合うように太一とガブモンのパートナー大和のデジヴァイスにカウントダウンリングと言う光が輝き始める。大和はコウシロウの部屋から出て行き、するとメノアの助手が怪しい行動をしているのを目にして後を追うことにする。更にはメノアとメノアの助手の情報を調べ始める。太一とコウシロウやデジモンアドベンチャー02の仲間にも出来るだけ情報や手がかりを集めるように頼む。すると分かったことは、メノアがメオスモンを人工的に作り出したデジモンであること。助手は結果的にメノアを追うFBIであったこと。つまり裏幕はメノアだった。太一と大和はメノアの選ばれし子供達の意識をデジタルワールドに閉じ込めて偽りのネバーランドを作ることを阻止しようと立ち向かう。そしてメオスモンと死闘を繰り広げ、意識を奪われていた選ばれし子供達の意識を取り返した。そして映画の中は夏だったのでアグモンと太一、ガブモンと大和で互いに夕日を眺めながら別々な、場所で暑いねなんて話し合いながらカウントダウンリングの光が残り僅かになっている中、たわもない会話をパートナーとしていた。そしてアグモンとガブモンは明日何する?なんて聞いて太一と大和にそうだなーって悩ませる。そして2人が明日一緒に……って言った時には2体共姿を消してしまっていた。そしてデジヴァイスも色褪せて朽ちた。2人の涙に導君も涙しました(´;ω;`)ぜひデジモン世代の人は劇場へ!2020年4月からはまたデジモンアドベンチャーが放送されると言う情報もあるのでデジモンアドベンチャーを知らない人は20年の歴史があるアニメを今一度参入してみるのも有りなのではないでしょうか!?

ブログ開設一周年

こんにちは!言波 導(ことのはしるべ)です!

2020年3月1日(日)を持ってはてなブログを辞めたりなんかしないよー(笑)

実はね、一周年を迎えたんだ!

でも100記事以降はペースダウンして、この記事を入れても26記事ぐらいしか書かずにいた。

そう考えると実質はてなブログを辞めてしまっていたとも考えられる。

Twitterでゲームの動画、数秒のものをアップするのは継続していて

詩も不定期ながら一週間の内に数作品はツイートをしている。

活動をTwitterに集中していると言えばそうなるかもね

導君の考えとして

ブログは文字制限が無いから出来るだけ長く書くものとしてとらえている。

短い文章ならTwitterでも完結させることは充分な訳だし。

導君はタイピングが遅いから1記事書くのにも時間が掛かる

スマホでもはてなブログは記事を書けるけど

パソコンみたく段落に気を使えないのが難点。画面サイズが違うから

スマホで書いた記事をパソコンの画面に合わせるのなんて至難の業。

ブログで記事を書くよりTwitterで完結出来ちゃっている現状、

ブログからどうしても離れてしまう

しかし冒頭に書いた通り、辞めたりしない。

なぜならTwitterでは出来ない文字制限の無い自由な言論が出来るから。

細々とやって、たまーーーに記事を書きに来るので忘れないないでね!

最近デジモンの映画を観たから、近い内にきっと

それも記事にするよ

ラストエボリューション絆良かったなー♪

 

 

2020年バレンタイン

2020年もバレンタインデーが来た。年々と歳を重ねて行くことに逆に母親にしかチョコを貰えなくなってしまっている。1番異性からチョコを毎年貰えていたのは小学生時代だ。本命ではなかったけど、女友達が多くて友チョコを毎年貰えていた。とても懐かしく感じる。ふと彼女達を気に掛けるのは、バレンタインデーや地元の神社のお祭りだ。同級生ゆえに元気にしているだろうかとか、もう結婚しているだろうかとか、色々気に掛ける。密に接触していた思い出が深いイベントだったから、この2つのイベントは同級生の女友達を気に掛けている。きっと今年の夏も同級生の女友達だった彼女達を気に掛ける野だろう。同窓会とかやらないかなー

2020年2月になってしまった

こんにちは!言波 導(ことのはしるべ)です!

2020年も2月だね。

ブログでは去年年末振り返りをした以来、記事を書く。

つまりブログでは遅過ぎると言わんばかりの

あけましておめでとうございます(笑)

しかも、はてなブログからメールが来た

確か「投稿から一ヶ月が経ちました。新しい記事を書きませんか?」的な内容だ

2020年1月はあけおめの記事でも一つは書いておこうと頭の中で

考えてはいたが実行せず……。

なぜなら!

ZOZOTOWN前社長の前澤さんのお年玉企画にTwitterで応募しており

当選に外れたも、チャンスとして続お年玉と言う企画にも応募した。

しかしそれも外れた……。お年玉企画は1月中ほどよく前澤さんが

Twitterで情報更新していた。その為、発達障害の特徴でもある過集中で

色々と1月は他にやっておきたかったことが出来なかった。しかし

100万円貰えるなら、是が非でもなって企画に参加する。

Twitterアカウントのフォローとツイートのリツイートで安全に

企画参加出来るなら極力参加したい。導君自身リツイート

あまり好みでは無くて、Twitterのタイムラインが荒れたりするし

荒らしてしまうのではと不安になったりする。

だから極力リツイートは控えて、大事だと思う情報やこのプレゼント企画は参加したいと言う、ここぞと言う時にする。つまりこのツイートはバカオモロイとかだけでリツイートしたくないし、されると迷惑。確かに面白いツイートをフォロワーさんが回して来てくれるのは時として愉快で良い。しかしリツイートの多い人は

フォローされてもフォローを返す気にはならない。それとリツイートが多くなって来た人はリツイートだけミュートにしている。

前澤さんのお年玉企画に話しは戻るが当選者の中で連絡が着かず落選になった人が95人ほどいるそうだ。その分を最初から落選した人から繰り上げ抽選を行うらしいから、希望はまだ捨てられないね!

 

最後に2月だし2月っぽいことを書こう

2月はバレンタインデーがある。今や愛の告白をする為というより

チョコを食べると言う印象が強い(これは個人の見解)

つまりチョコの為にある2月はチョコ好きの導君にとって

バレンタインデーと言うのは楽しみで仕方ないのだ!

 

では次の記事で!いつかね(笑)

2019年振り返り

こんにちは!言波 導(ことのはしるべ)です!

2019年も大晦日!この1年を振り返ってみようと思います!

まあニュースになったことを振り返っても面白みに欠けるので

私情を挟みまくった、イヤ、それしか無いかも知れない

そんな振り返りの記事にしたい。イヤ、する!

 

 

ザックリ最初から行くと、と言うかあまり記憶が無い。心理テストでも記憶力の面は健常者より劣っているのが結果として出ている。それで1月、2月はカクヨムと言うウェブ小説を書けるサイトの4回目の大きな公式の賞に向けて小説を書いていた。物語りを作るのも好きだけど、頻度としてはそれほど趣味や仕事レベルまで行かない。どちらかと言うとゲームの方が趣味だろう。仕事では無いが。しかしそのゲームすら惜しんで集中して、小説を書き上げ応募期間までに間に合わせた。Twitterでも詩のアカウントは活動を一時中止した。しかしもう1つのメインアカウントはフォロワーさんを失う恐怖から身を守る為、レインボーシックスシージと言うゲームの動画やツイートをしていた。つまりゲームしていたんだよな!(笑)

 

3月はTwitterのフォロワーさんが楽しく、はてなブログを始めていて小説を書く生き抜きに読んで楽しませてもらった。それをきっかけに小説も書き終えた訳だしと思い、

3月の初めから導君もブログを開設して100記事までは毎日記事を書いていた。

 

4月は2018年の入院時から見学を繰り返し、ようやく通所出来るようになったデイケアと言う医療機関に通い始めた。カクヨムのコンテストにコチラが集中したいと言って2月頃の利用開始だったが、施設側が対応してくれて4月からになった。

 

5月は多少Twitterのフォロワーさん数が減りに減って自殺未遂したり、その後持ち直し通院やデイケア通えていた。主治医からまた「これは入院だね」って言われたけど、なんとか2019年は入院はまぬがれた。理由としてフォロワーさんにリムる場合は一言リムる理由を言ってもらうと言う解決策に辿り着いたからだ。お互い気分良く別れることがメリットだと思う。それ以降無言でリムる輩は精神衛生上よろしくないので、バカやアホ等、勝手にののしっている。ちゃんと別れを告げた人には、そこに導君のいたらなかった点があったと反省する。

 

6月、7月、8月は通院にデイケア保健師さんとの面談と色々と通常運転で通えたかな。寝坊することもあったけど。Twitterでは6月24日に「おはよう」ってリプ返し合う程のフォロワーさんにブロ解されてショックだったのを覚えている。その数日後導君が一瞬だけフォローし直して別れの挨拶が出来た。あの朝も忘れがたい朝だ。泣いて、もう一度彼女のフォローを外したしたのは心が痛かった。7月頃からあまり使っていなかった、ゲーム専用Twitterアカウントを活用したいと思い、

レインボーシックスシージの動画画像の拡散アカウントとして運用してみたものの疲れたし、他に拡散アカウントがあるから導君が頑張らなくてもいいやってなって8月末に通常アカウントとして戻った。あと8月は久々に数年振りの地上からの音のある花火を見た。2年ほど病院からだったからしみじみ思う。

 

9月は導君の誕生日があった24歳になり、2020年には25歳だ!

そして歯が痛くて歯医者に行ったし歯磨きも心掛けるようになった。たぶん歯周病だと思う。でも大晦日の現在、歯茎もそこそこ健康的な色になって来た。あと地元の神社のお祭りに行った。色々食べたな~。

 

10月は特記事項無し

 

11月は友人や母親の手助けを借りて詩集を印刷会社で印刷して完成した詩集を文学フリーマーケットと言うコミケの文学版の少し固いイベントに出店した。詳しくは下の記事参照

 

kotonohasirube.hatenablog.com

 12月はレインボーシックスシージのクラン(チーム)を抜けたり、解散したりした。掛け持ちしていて、ありふれた通常のクランと育成クランに入っていた。通常のクランはクランマスターとTwitterでトラブルがあり、以前からも導君には風当たりが強く心地の悪いクランだった。クラマスはゲーム内VCの他、LINEのグルチャで散々、学業や家庭のストレスを発散して戦力では無かった導君に当たるようにストレスを振りかざして来た。そして新メンバーの小学生にも吹き込んだのか、「リコイルコントロール出来ない雑魚ってあなたですか」と導君に向かってグルチャでLINEさせて導君は初対面だし年下でもちゃんと、挨拶しょうと思い挨拶したのに、その言われよう。ホント、ガキ共が年上なめてるんじゃねえよ。しかもそのクラマスは思い通りに行かないとLINEのグルチャを荒らすし、スゴイ精神年齢が低い。学生であるし思春期だと思うけど、それでクラマスと言う人の上に立つ存在になる考えは、あさはかである。

多少グチになってしまった。申し訳ありません。

それで通常クランは居心地最悪だったし抜けて清々している。

しかし育成クランがなぜ解散したか、それはLINEのグルチャが動かなくなったことからメンバーの一人が「抜けていいですか」と育成クランのクラマスにたずね、クラマスは「そもそも活動を最近してないからオレも抜ける」と言って育成する者がいなくなり、途端に残された育成される側のメンバーは続々と抜けて行った。このクラマスはとても、メンバーに良くしてくれて、伸び悩んでいた導君には個人チャットで会話してくれて通話もして上達出来ていないポイントを教えてくれた。時に厳しいことも言われた。「やる気が無ければみんな切り捨てるつもり」と。だからグルチャが動かない=やる気なしと判断されたのだろう。でも育成クランはとても居心地よかった分、解散したのは残念だ。

 

 

まあそんな2019年と言う一年間だった

2020年はどんな年になるかな?

良い年になるといいな

この記事を読んでくれた方も良いお年を!

同級生の誕生日と自分語り

彼は元気にしているだろうか。

お互い、今でもそうやって気づかえていればいいが。

2019年12月9日

彼の24歳の誕生日だ。

ブログを始めてから初めての彼の誕生日。

記念に記事を書くことにした。

小学時代の親友でよく遊びよくケンカしてよく喋り合った仲だ。

20歳の年にあった同窓会では元気そうだった

しかしその時期、自分は二度目の高校に行っており

まだ小学時代の同級生のように華々しく大学進学や一人立ちをしていている訳ではなかった。だから同窓会で会えたことは、とても嬉しかったが

自分の近況を胸を張って言えなかったのが、もどかしかった。

同窓会の時はスマホも持っておらずSNSもやっていなかった。

連絡先の交換のしようが無かったから2019年の現在も彼らとは

連絡が取れていない。

 

彼の住んでいた家はどこにあるかは知っているが、彼が今その家に住んでいるとは限らない。またゲームの話しでもしたいものだ。

今、繋がりのある中学からの友達ともゲームをしたり、その会話をしたが

今の彼らはゲームをする余裕が無いと言う。

きっともしかしたら小学時代の親友の彼も同じことを言うのではないか、

そう思う。

それでももう親友も友達も、お酒は飲める。

自分は同窓会の時は一滴も酒は飲まなかった。

なぜなら最初に飲む酒はラム酒で自分の稼いだお金で買った物を飲むと決めていたからだ。2019年の7月に姉からの紹介でマイクロミルというアンケートモニタをしてポイントを貰い現金化することが出来るのでコツコツとポイント稼ぎ、ようやく祖母からの小遣い以外で自ら収入を得たからラム酒を買い、初めて酒を飲めたので、

酒の飲めない制約は無くなった。つまりもし今度、小学時代の同窓会なりあったなら、

もしどこかで彼と再会出来たなら、酒をたしなむ程度に飲み交わしたいものだ。

 

だがきっと彼の方が社会経験は豊富で、語る内容もまた違いがあるだろう。

自分はまだ医療施設に通っている。通所が終われば職業訓練校などに通うだろう。

まだ数年、彼とは同じラインに立つのは難しいだろう。

でも少しずつ社会適応を目指そう。一度も社会に出たことが無い分社会復帰という言葉は自分には合わない。

 

いつでもそうだったんだ。

目標にしているのは富豪や有名人じゃない。そこにあるのは小学時代の同級生なんだ。そして同い年だからこそ高め合いたい。スタートは同じだった。

これほど差がうまれたのも自分が発達障害で発達遅滞という病気があるから。

でも発達障害の気は誰しも持っていると数年前のカウンセリングの時に担当者さんから聞いた。だから病気とは上手い具合に付き合って、目標である姿の彼のようになりたい。この記事は彼の誕生日を祝う記事だ。なんだかんだ自分語りになってしまった。せめて最後に彼にメッセージを……。

誕生日おめでとう。再会のあかつきには酒を飲み交わそう。それまで元気にしているだろうか。